子守唄

ねんねんころりよ おころりよ

12/29(2020年総括)

 

今年は波乱の年だった。昨年末に試験に落ちて去年の今頃は鬱々としていた。年が明けて、どうにもならなくなって家出をして、人生で一番の極貧生活を経て、どうにか仕事に就いた。嬉しかったのも束の間あれよあれよという間にコロナ禍に飲み込まれ、入った会社がそこそこアウトなこともだんだん分かってきた。めちゃくちゃな指示系統に混乱しつつ、それでもこれは会社のためなんかじゃなく将来の自分のためだからと思ってなんとかこなしていたらいつの間にかもう年が明けようとしている。こう書くとタフな人みたいだ。実際どうなのかはよく分からない。

また今年は別れも多かった。友達や恋人とどうせすぐ会えるだろうと思っていたので、6月〜7月くらいが一番キツかった。そんな時に毎日会って励ましてくれた職場の先輩たちも次々と辞めてしまった。コロナが少し収まって、たまたまみんな予定が合って毎週飲みに行った8月のことをよく思い出す。あれは楽しかった。もう二度と集まれないのが信じられないほど、たくさんのことを話した。

わたしは自分のためにしか生きられない。どんなに辛いことがあっても結局家族や恋人は他人だ。自分の辛さを分かってはくれても肩代わりはしてくれない。何があっても親と決着をつけなきゃいけないのはわたしだし、明日も出勤するしかないのもわたしだった。今までも分かってはいたけど、身を持って思い知った一年だった。

人生はどう転ぶか分からない、なんて言うと年寄りみたいだけど、本当に痛感した。と同時に嬉しくもあった。今の状況は今年の初めに思い描いていたものとは良い意味でも悪い意味でも違うけど、だからこそどうにかなるしどうにでもなるんだと思った。人生を自分の手で切り開くのは大変だったけど楽しかった。来年の今頃はまた全然違う状況になっているんだろう。こんなに年明けが楽しみなのは初めてかもしれない。

この日記をここまで続けることができたのも嬉しかった。コロナ禍に飲まれて色々なことがだんだん制限されていく中で何かしなければと始めたものが、こんなに続くとは思っていなかった。4月から8ヶ月間、初めての社会人生活を支えてくれた。毎日何かをこんなに続けることができたのは初めてだった。今年は創作らしいことが何もできなかったけど、文章を書くということから離れそうになる心をこのブログがつなぎとめてくれた。今年は何かをやりたいという気持ちがあまり起きなかった。一人で文章を書くのもそれはそれで楽しかったけど、来年は創作活動と呼べることをしたい。

強くなりたいと思い続けた日々だった。でもその時は精一杯だけど、振り返ってみたらわたしは案外強いのかもしれなかった。たどり着いた場所は楽園じゃなかったけど、今は満足している。学校を辞めた時、仕事に就いた時、車を手に入れた時、初めて給料をもらった時、やっとここまできた、と何回も思った。もっともっと強くなれる。何でもできる。何度も何度もおまじないのようにこう唱えて耐えた日々も思い返せば懐かしく愛しい。これからも辛いことがたくさんあるんだろうけど、わたしは多分やっていけるという自信を手に入れられたのは大きかった。

自分の生き方が好きだ。そう思えて幸せだ。ずっと一人で生きてきたような顔でこれからも生きていく。今年はよく頑張った。

思えば遠くまで来たものだ。遠ざかっていく自分の後ろ姿をずっと見ている。