子守唄

ねんねんころりよ おころりよ

備忘録あるいは夢日記

初めて恋人に自分の散文を見せた。その時の備忘録。

出来事ではなくて、感情の。

 

詳細は省くが、先月有志でそれぞれの作品を持ち寄る小規模な展覧会をやった。主催者に個人的に誘われて、それがたまたま大晦日で、なんとなく浮き足立った世間の空気がそんな気持ちにさせたのかもしれないが、新しいことをやってみようと思って参加を決めた。イラストや写真で参加する人が多いらしかったが、私は短編にすると伝えた。自分にはそれしかないと思った。

決まった大きさの模造紙に文字を貼り付けて、写真も数枚貼って、それだけのことなのに完成したのは当日の集合時間1時間前だった。1分でも寝たかったけど、正常な判断能力を失った状態じゃないと、自分の文章を素通りされることに耐えられないかもしれないとも思った。期待はしない方がいい、何においても。

期待はしてないけど、でも出すからには、と教室の一番目立ちそうなところに自分の作品(作品と呼べるほどのクオリティかという疑問はあるが便宜上そう呼ぶ)を貼った。掲示を終えてしまえばすることはもう何もないので、廊下に無造作に置いてあったパイプ椅子に座った。幸か不幸かその教室はガラス張りで、廊下からでも中の様子はよく見えた。

暇に任せて寒い廊下で椅子を軋ませていると、徹夜明けの霞んだ視界にいきなり恋人が入ってきた。突然のことに身体がついていかず、私の作品はここに貼ってあるよと言う時間も、あんまりちゃんと見ないでね、と予防線を張る余裕もなかった。ただその背中から目を離すことができなかった。彼の足が私の作品に近づくたびに、逃げ出したい気持ちがどんどん大きくなってきた。別にそんなにちゃんと見ないだろう、そもそも名前も小さく書いただけだから分からないだろうと言い訳を重ねて、それでもその背中に駆け寄ることはできなかった。端から展示をゆっくり一つずつ見て回り、ついに私の作品の前に立った彼は、私が心のどこかで密かに望んでいたように、長いことその場から動かなかった。

 

驚いた。何にだろう。恋人がそこに立っていた時間の長さにだろうか。ちゃんと私の作品だと気がついてくれた恋人にだろうか。それとも、とうとうこの世界で筆名を脱いだ自分にだろうか。

恋人が自分の作品の前に立った時、そこにいたのは筆名を脱いだ私だった。ずっとインターネットの中で書いてきて、インターネットなら裸を見られても顔は知らないから平気だった。裸どころかもっと汚い、吐瀉物や排泄物を見せつけた時もあった。何を見せてもインターネットの人たちは私の実生活には関わってこないから、全然気にならなかった。筆名と実名をインターネットとリアルで器用に変えて生きてきて、それで心の安定を保っていた。ずっとそうしていくんだと思っていた。でもそのとき彼の目の前にいたのは紛れもなく私そのものだった。彼に服を脱いだ私を見せたことはあったけど、心そのものを見せたことはなかった。彼どころか、他の誰にも、親にすら見せたことがなかった部分だった。

インターネットで生きていくことを潮時だとは思わなかったけど、そろそろこの世界の誰かに筆名を脱いだ自分を見せてもいいかなと思い始めていた。あんなにこの世界に絶望していたのに、また希望を見いだしたくなった。私が生きていく世界はここなのだと、諦め始めたのかもしれない。彼がいま見ている模造紙と後ろの壁の間のわずか数ミリのところに、紛れもなく裸の私がいた。人間の形もしていない、魂だけの私だった。幽体離脱のように、私の魂を見ている恋人を、後ろから見ていた。

展覧会を通して200人は私の作品を見ただろう。この人なら、と心を決めたわけではない。でもその見た人の中に彼がいるということが、大事だと思った。一言も感想はもらわなかった。私からは聞かなかったし、向こうも言わなかった。私の作品だけを目当てに見に来たわけじゃないのは分かっている。でも見てくれて嬉しかった。恋人という肩書きが無くても、たぶん私は彼に見て欲しかった。

 

夢について書いた文章だった。忘れた夢のワンシーンを些細なきっかけで思い出して、忘れて、また思い出す。それを繰り返すうちに、だんだん本当にあったことのような気がしてくる。それと反対に、どんなに嫌なことがあっても夢だと思えば、夢日記にそう書いてしまえば、夢だと思えるだろうか。そんなようなことを書いた。いま彼が狭い教室の隅で私の魂を見ていること、これは夢だと思った。夢日記はしばらくつけていない。でもどこかに書かないと忘れてしまう。忘れて、夢だと思ってしまう。そう考えて、ここに書いた。

 

展覧会は無事終わった。もうすぐ1ヶ月が経つ。

恋人にはまだ見てくれてありがとうと言えていない。

口を開いたら、この長い夢が醒める気がして。