子守唄

ねんねんころりよ おころりよ

深夜、ファミレスにて

怒り。

3人のデュエット。終わらない歌。道端の地蔵が喋る。あたたかいアイス。吠えない犬。水の無い海。そして空へ落ちる。

痴話喧嘩の果てに飛び込んだ海は生ぬるく、世界は優しい。ファミレスの机が広くて涙が出る。HBの鉛筆で文字を書く。こんなに尖っていては名前は書けない。紙がへこむほど押しつけた。


誰かの作った言葉でしか話せない。
誰かの作った文字でしか伝えられない。
ありふれていない言葉なんてない。
言葉は生まれて死ぬのなら、この気持ちはいつか泡になって消える。何万年だって変わらないと言い張っても、私が死ねば世界は滅ぶ。ここは私の頭の中でしかない。
誰が死んでも誰が生まれても誰と誰が愛し合っても私が死ねば終わり。全部副産物に過ぎない。

希望とか夢とか永遠とか、耳障りのいい言葉が流行る。分かりやすくて愛おしい。誰よりも愛を信じていたい。照らしてくれなくていい。影になってもいい。私を照らすのではなく、あなたが光だと教えたい。何を壊しても誰を殺しても、全て飲み込めるなら、私が闇になりたい。

 

私たちもまた、誰かの副産物だ。

私信

ここが終着点かもと思う。騙し騙し走ってきたけどついに車輪が止まりそう。きっと初めからずっと止まりたかった。
君がいると決心が鈍る。生きていけるかもと思ってしまう。一人の夜はいつもより寒いけど、なぜかほっとする。苦しみも後悔も全部私のものにできる。いつも半分どころか私ごと背負おうとするから。
人生どん詰まりだと思ったのにあなたがいたんだって君が泣いたとき、その髪を撫でながら鴨川のことを思っていた。目が覚めてあなたがいなかったらどうしようなんて言わせるつもりじゃなかったのに、誤算だった。そんなに誰かの中に私を残すつもりじゃなかった。鴨川のほとりを歩いて、もうここに沈もうかなって呟いた私を精いっぱい笑い飛ばした君の目が潤んでたの、気づいてた。揺れてるのは鴨川に映る街灯なのか自分の瞳なのか分からなくなって、その手を握ってしまった。いつもと同じ冷たい手に甘えてた。私なんかでは心が動かないはずだって、期待していた。あたためてあげるなんて言いながら救われていたのは自分だった。
あんなに傷ついたのにどうしても人間を嫌いになれなくて、どうしても愛し合うことだけはやめられなくて、やっぱり同じことを繰り返してしまった。隠し通そうと思っていたはずなのに、どうしても見せたくなってそれでいいって言われたくなって、欲望のままに中身をほとんど見せた。人の一大決心をなんでもないことのように受け止めてたのは今思えばポーカーフェイスだったのかもしれないね。第六感があるとすればこれだと思った。この人ならいいかもっていう勘。ご丁寧に作品もブログもペンネームまで教えて、私はやっぱり見つけて欲しかったのかもしれない。インターネットだけを信じて書いていた頃、公開しなかった文章の方が多かったけど、あの頃と同じように誰か見つけてって。
何を考えて書いてるのって聞かれたとき何も答えられなかったのは、それしかなかったから。私を見つけてもらうためには面白いことを書くしかなくて、それしか考えてなかったから。注目されれば誰か一人くらい分かるよって言ってくれる人がいて、結局人間に愛されたくて、だから今はもう書く必要なんかないのかもしれない。
泣いたのは、一生懸命だね、必死だねって言われたから。必死で愛される自分に気づいたから。ここまできても愛することより愛されることを一生懸命考えてる自分に気づいて、惨めになったから。いっつも首筋にキスマークをつけるのは、忘れられたくないから。私のことは見捨ててなんて言いながら、誰よりそばにいたいと欲張ってるから。過去を見てしか生きられないのに。未来予想図なんていつから白紙のままだろう。
何を知っても好きでいると思うよ。それが絶望にしかならなくても、君もそうであるように。あんなに言われたのに、夢にしてごめんね。でも、嘘じゃなかったよね。

2人のどん底で会えてよかった。

これはほとんど 続

昨日の記事の続編。思い出話です

 

中学に上がると、本を買うということを覚えた。初めてお小遣いをもらい、最初に向かったのは本屋だった。月に1,2回、学校が終わると路線バスに乗り、駅にある大きい本屋に通っていた。駅前の大きい本屋には読みたい本がたくさんあって、何時間でも迷っていられた。少ない小遣いでは文庫本を2冊買うのが精一杯で、本屋で読みたい本を探して隣の古本屋にそのタイトルを探しに行くこともよくあった。とにかく本に飢えていた。中学に入ると同時にスクールバス生活を送っていた私が初めて1人で電車に乗ったのは、学校帰りに本屋に寄ったときだった。なんてことない寄り道だったが私には大冒険で、興奮と少しの罪悪感を抱えて家に帰った。なんとなく怒られる気がして母親には何も言わず、今日買った本をこっそり1人で読む時間が何より幸せだった。

ある日、とあるサスペンス小説を買った。それは夏のフェア期間で、文庫本を2冊買うと限定のブックカバーがもらえるキャンペーンをやっていた。好きな作家の新刊を買うつもりで行ったけど、そのキャンペーンを自分への言い訳にして、散々迷って選んだもう1冊だった。家に帰って買った本をリビングの机に置き、上着を脱いで手を洗って着替えてさあ読もうと思ったら、今日の戦利品が忽然と消えていた。しかもその迷いに迷ったサスペンス1冊だけ。どこかに無意識のうちに置き忘れたのかなと思って周辺を探したけどどこにも無い。テレビを見ていた母親に聞いても知らないと言う。なのにどこを探してもない。仕方がないのでとりあえず目当ての新刊を読み始めた。相変わらず心地よいリズムの文体にページをめくる手が止まらず、気がつけばその本のことは忘れていた。

数ヶ月後、何かの用事で押入れを開けたら折りたたまれた布団の間に固い感触を見つけた。たまたまそこに手が入って、指が触れて、引き抜いた。あの本だった。すっかり忘れていたので一瞬何の本か分からなかった。裏面のあらすじを読んで思い出して、散々迷ったこと、すぐ無くしてがっかりしたこと、見つかって嬉しいことを興奮しながら母親に報告した。

すると母親は、向こうを向いたままこう言い放った。

「その本、お母さんが隠したんだ。そんな怖い本、あんたにはまだ早いと思って。」

何を言われているのか分からなかった。隠した?何で?私が買った本なのに?何よりの楽しみなのに?本が無いって言った時知らないって言ったのは嘘だったの?そもそも何で隠したの?面と向かってそう言ってくれたらまだよかったのに。

思考がまとまらないままとりあえずこぼれた「私が自分のお金で買った本なのに?」の一言が、母親のスイッチを押してしまった。あんたのお金だってなんだってだめなものはだめ。だいたいなんなのあの気持ち悪い本は。あんな本まだあんたには早い、お父さんだってだめって言うはず、あとでお父さんにも言うからね

半狂乱になって喚く母親の勢いより、親に全く信頼されていないという事実が重くのしかかって、逃げるように自室に駆け込んだ。結局その本はもう読む気にならなくて、私のいろんな気持ちと一緒にどこかに行ってしまった。

何より大切にしていた読書という行為を、誰より身近にいた親という存在に否定されたことが悲しかった。

あれから10年近く経ってやっとこの出来事がはっきり説明できるようになった。勝ったと思った。やっとそれに足る語彙が獲得できた。他ならぬ、本によって。

これはほとんど私怨という名の、しかし、堂々たる勝利の思い出話である。

これはほとんど

昔はよく本を読んでいた。一番読んでいたのは小学生の頃だと思う。朝学校に着いたらまず図書室に行き、その日読む本を借りる。2時間目が終わるころには朝借りた本はもう読んでしまっていて、20分の長い休み時間を使って図書室に行く。また違う本を借り、昼休みにまた図書室に行く。帰る頃にはそれも読んでしまって、今晩家で読む本を物色しにまた図書室へ寄って帰る。こんな生活をずっとしていた。小学校の頃の休み時間なんてそんなになかったはずなのに、なぜか日に何冊も読んでいた。

両親とも本が好きだったのも大きかった。父親の書斎に入ると右も左も天井まで本棚があって、その中にこれでもかと本が詰め込まれていた。自分の背の届く範囲の本しか読んではだめだと言われていたけれどそんな言いつけを守るはずもなく、椅子によじ登っては面白そうな本を片っ端から読んでいた。本の中では男の子にも綺麗なお姉さんにも猫にも魔法使いにもなれた。何回も全く違う人生を生きることができた。それが何より楽しかった。

文章に刺され、文章に殴られ、そして文章に救われてきた。いまこんなに文章に固執しているのは、昔の読書体験が忘れられないんだと思う。誰かを救いたいなんて大層な志ではないけれど、自分がそうされてきたように、私も少しでも何か届けたい。私の言葉で傷ついてほしい。

これはほとんど祈りだろうか。

それともゆるやかな呪いだろうか。

好きな食べ物

チョコミントが好きだった。

その前はジンジャーエールにはまっていた。

今は暇さえあれば素焼きのアーモンドをずっと食べている。いつ過去形になるだろう。

一人暮らしを始めてから、食べたいものを食べたいだけ食べられるようになった。深夜にカップラーメンを食べても、ジュースばかり飲んでいても、うるさく怒る人はいない。親が一生懸命保ってくれていた健康な食生活が崩壊するのに、そう時間はかからなかった。

何か好きなものができるとずっとそれ一つに熱中するたちだった。短絡的で幼稚な思考。少しずつ楽しむということができない。許される限り時間を割いてしまう。あればあるだけ食べてしまう。1人になって初めて分かった。

ジンジャーエールにはまっていたときは、2,3日に1回は2リットルのペットボトルを買っていた。思い返すと気持ち悪いが朝起きて水の代わりに飲むほどで、しかしある日突然飽きてぱたりと飲まなくなった。チョコミントがマイブームだったときは、どこに行ってもチョコミントと名のつくものを血眼になって探した。あれが美味しいと本気で思っていた。しかしそのブームもすぐ終わった。

こうやって生きていくしかないのか、と足元がぐらつくときがある。好きになったら飽きるしかないのか。もういらないと思うまで吸い尽くして、飽きたら終わりなのか。そうやってしか、自分以外の全てを愛せないのか。

隣で寝ている恋人の髪を触る。頰を撫でる。

まだまだ雪は止みそうにない。

備忘録あるいは夢日記

初めて恋人に自分の散文を見せた。その時の備忘録。

出来事ではなくて、感情の。

 

詳細は省くが、先月有志でそれぞれの作品を持ち寄る小規模な展覧会をやった。主催者に個人的に誘われて、それがたまたま大晦日で、なんとなく浮き足立った世間の空気がそんな気持ちにさせたのかもしれないが、新しいことをやってみようと思って参加を決めた。イラストや写真で参加する人が多いらしかったが、私は短編にすると伝えた。自分にはそれしかないと思った。

決まった大きさの模造紙に文字を貼り付けて、写真も数枚貼って、それだけのことなのに完成したのは当日の集合時間1時間前だった。1分でも寝たかったけど、正常な判断能力を失った状態じゃないと、自分の文章を素通りされることに耐えられないかもしれないとも思った。期待はしない方がいい、何においても。

期待はしてないけど、でも出すからには、と教室の一番目立ちそうなところに自分の作品(作品と呼べるほどのクオリティかという疑問はあるが便宜上そう呼ぶ)を貼った。掲示を終えてしまえばすることはもう何もないので、廊下に無造作に置いてあったパイプ椅子に座った。幸か不幸かその教室はガラス張りで、廊下からでも中の様子はよく見えた。

暇に任せて寒い廊下で椅子を軋ませていると、徹夜明けの霞んだ視界にいきなり恋人が入ってきた。突然のことに身体がついていかず、私の作品はここに貼ってあるよと言う時間も、あんまりちゃんと見ないでね、と予防線を張る余裕もなかった。ただその背中から目を離すことができなかった。彼の足が私の作品に近づくたびに、逃げ出したい気持ちがどんどん大きくなってきた。別にそんなにちゃんと見ないだろう、そもそも名前も小さく書いただけだから分からないだろうと言い訳を重ねて、それでもその背中に駆け寄ることはできなかった。端から展示をゆっくり一つずつ見て回り、ついに私の作品の前に立った彼は、私が心のどこかで密かに望んでいたように、長いことその場から動かなかった。

 

驚いた。何にだろう。恋人がそこに立っていた時間の長さにだろうか。ちゃんと私の作品だと気がついてくれた恋人にだろうか。それとも、とうとうこの世界で筆名を脱いだ自分にだろうか。

恋人が自分の作品の前に立った時、そこにいたのは筆名を脱いだ私だった。ずっとインターネットの中で書いてきて、インターネットなら裸を見られても顔は知らないから平気だった。裸どころかもっと汚い、吐瀉物や排泄物を見せつけた時もあった。何を見せてもインターネットの人たちは私の実生活には関わってこないから、全然気にならなかった。筆名と実名をインターネットとリアルで器用に変えて生きてきて、それで心の安定を保っていた。ずっとそうしていくんだと思っていた。でもそのとき彼の目の前にいたのは紛れもなく私そのものだった。彼に服を脱いだ私を見せたことはあったけど、心そのものを見せたことはなかった。彼どころか、他の誰にも、親にすら見せたことがなかった部分だった。

インターネットで生きていくことを潮時だとは思わなかったけど、そろそろこの世界の誰かに筆名を脱いだ自分を見せてもいいかなと思い始めていた。あんなにこの世界に絶望していたのに、また希望を見いだしたくなった。私が生きていく世界はここなのだと、諦め始めたのかもしれない。彼がいま見ている模造紙と後ろの壁の間のわずか数ミリのところに、紛れもなく裸の私がいた。人間の形もしていない、魂だけの私だった。幽体離脱のように、私の魂を見ている恋人を、後ろから見ていた。

展覧会を通して200人は私の作品を見ただろう。この人なら、と心を決めたわけではない。でもその見た人の中に彼がいるということが、大事だと思った。一言も感想はもらわなかった。私からは聞かなかったし、向こうも言わなかった。私の作品だけを目当てに見に来たわけじゃないのは分かっている。でも見てくれて嬉しかった。恋人という肩書きが無くても、たぶん私は彼に見て欲しかった。

 

夢について書いた文章だった。忘れた夢のワンシーンを些細なきっかけで思い出して、忘れて、また思い出す。それを繰り返すうちに、だんだん本当にあったことのような気がしてくる。それと反対に、どんなに嫌なことがあっても夢だと思えば、夢日記にそう書いてしまえば、夢だと思えるだろうか。そんなようなことを書いた。いま彼が狭い教室の隅で私の魂を見ていること、これは夢だと思った。夢日記はしばらくつけていない。でもどこかに書かないと忘れてしまう。忘れて、夢だと思ってしまう。そう考えて、ここに書いた。

 

展覧会は無事終わった。もうすぐ1ヶ月が経つ。

恋人にはまだ見てくれてありがとうと言えていない。

口を開いたら、この長い夢が醒める気がして。

生ぬるい風に頬を撫でられて、春の終わりに気付いた。家に帰ってTシャツを引っ張り出してみた。去年洗濯をしすぎたのかどれもこれもぶかぶかで、着てみたらお兄ちゃんのお下がりをもらった中学生のようになってしまった。とがった肩に、真っ平らな胸。もともと太っている方ではなかったけど、最近さらに痩せた気がする。化粧っ気のないわたしの、素朴なところが好きだよって、あれは本当だったのかな。やっぱり髪がふわふわで、真っ白な肌の、抱きしめたらいい匂いがするような女の子のところに、行ってしまったんじゃないのかな。
なんとなく髪を切りたくなって、失恋したからってわけじゃないけど、と心の中で言い訳をしつつ、(でも美容師に失恋でもしたんですか?と聞かれた)ばっさり切った。そしたら昔空けたピアスがよく見えるようになってしまった。おまけにこれからの季節、半袖になると左手の火傷の跡が見える。ショートパンツを履くと、太ももの古傷が見える。忘れてた。でも、そうだった。
写真を見なくたって、手紙を読み返さなくたって、わたしのこの体が、もう歴史なのだ。笑いあって空けた穴は塞げない。一度付いた傷は消えない。あの傷もこの傷も全部、いつどこで付いたものか言える。忘れても忘れなくても、ここにはただ歴史だけがある。
やがて夏が終わり、秋が終わり、冬が終わり、春が来る。求めた未来はすぐに過去になって歴史に変わり、わたし自身になる。

そうやって、生きていく。