子守唄

ねんねんころりよ おころりよ

これはほとんど 続

昨日の記事の続編。思い出話です

 

中学に上がると、本を買うということを覚えた。初めてお小遣いをもらい、最初に向かったのは本屋だった。月に1,2回、学校が終わると路線バスに乗り、駅にある大きい本屋に通っていた。駅前の大きい本屋には読みたい本がたくさんあって、何時間でも迷っていられた。少ない小遣いでは文庫本を2冊買うのが精一杯で、本屋で読みたい本を探して隣の古本屋にそのタイトルを探しに行くこともよくあった。とにかく本に飢えていた。中学に入ると同時にスクールバス生活を送っていた私が初めて1人で電車に乗ったのは、学校帰りに本屋に寄ったときだった。なんてことない寄り道だったが私には大冒険で、興奮と少しの罪悪感を抱えて家に帰った。なんとなく怒られる気がして母親には何も言わず、今日買った本をこっそり1人で読む時間が何より幸せだった。

ある日、とあるサスペンス小説を買った。それは夏のフェア期間で、文庫本を2冊買うと限定のブックカバーがもらえるキャンペーンをやっていた。好きな作家の新刊を買うつもりで行ったけど、そのキャンペーンを自分への言い訳にして、散々迷って選んだもう1冊だった。家に帰って買った本をリビングの机に置き、上着を脱いで手を洗って着替えてさあ読もうと思ったら、今日の戦利品が忽然と消えていた。しかもその迷いに迷ったサスペンス1冊だけ。どこかに無意識のうちに置き忘れたのかなと思って周辺を探したけどどこにも無い。テレビを見ていた母親に聞いても知らないと言う。なのにどこを探してもない。仕方がないのでとりあえず目当ての新刊を読み始めた。相変わらず心地よいリズムの文体にページをめくる手が止まらず、気がつけばその本のことは忘れていた。

数ヶ月後、何かの用事で押入れを開けたら折りたたまれた布団の間に固い感触を見つけた。たまたまそこに手が入って、指が触れて、引き抜いた。あの本だった。すっかり忘れていたので一瞬何の本か分からなかった。裏面のあらすじを読んで思い出して、散々迷ったこと、すぐ無くしてがっかりしたこと、見つかって嬉しいことを興奮しながら母親に報告した。

すると母親は、向こうを向いたままこう言い放った。

「その本、お母さんが隠したんだ。そんな怖い本、あんたにはまだ早いと思って。」

何を言われているのか分からなかった。隠した?何で?私が買った本なのに?何よりの楽しみなのに?本が無いって言った時知らないって言ったのは嘘だったの?そもそも何で隠したの?面と向かってそう言ってくれたらまだよかったのに。

思考がまとまらないままとりあえずこぼれた「私が自分のお金で買った本なのに?」の一言が、母親のスイッチを押してしまった。あんたのお金だってなんだってだめなものはだめ。だいたいなんなのあの気持ち悪い本は。あんな本まだあんたには早い、お父さんだってだめって言うはず、あとでお父さんにも言うからね

半狂乱になって喚く母親の勢いより、親に全く信頼されていないという事実が重くのしかかって、逃げるように自室に駆け込んだ。結局その本はもう読む気にならなくて、私のいろんな気持ちと一緒にどこかに行ってしまった。

何より大切にしていた読書という行為を、誰より身近にいた親という存在に否定されたことが悲しかった。

あれから10年近く経ってやっとこの出来事がはっきり説明できるようになった。勝ったと思った。やっとそれに足る語彙が獲得できた。他ならぬ、本によって。

これはほとんど私怨という名の、しかし、堂々たる勝利の思い出話である。