子守唄

ねんねんころりよ おころりよ

夢から醒めた夢

朝、目を開けた瞬間に直前まで見ていたはずの夢をすっかり忘れていることがある。思い出そうとするけれど誰が出てきたのか、何があったのか全く思い出せない。そんなにゆっくりもしていられないのでモヤモヤしたままベッドから出る。支度をするうちにそんな気持ち悪さは忘れて、暑さや寒さや人混みや眠さや空腹にうんざりしながら、また今日を生きる。

 

最近よく夢を見る。

数年前から夢日記をつけていて、日記といっても携帯のメモ機能に大まかに書き込むだけだけど、これが意外と続いている。たいていは寝起きの頭で書くので、ただでさえ支離滅裂な夢が、支離大滅裂な文章で残されていることもよくある。後から読んでもよくわからないけど、なんとなく雰囲気や断片を覚えていたりする。それでいい。

悲しい夢を見て泣きながら起きたとき、その涙はこの世界のものじゃない。わたしたちが生きている世界とはちょっと別のところで生まれた涙だ。いつもの涙よりすこし塩分が多くて、すぐに乾く。乾くとともに、なんで泣いていたのか忘れてしまう。大事なものを忘れてきたような、落ち着かない気分になって、またわたしたちは日常へと溶けてゆく。はかりしれないほど大きなもの。いつもすぐそばにあるもの。よりそっていたいもの。

 

夢と嘘は似ている。

 

嘘をついても、事実は変わらない。それはただそこにあって、それを見るか隠すかの違いだ。

本当はそんなものないのに、あるって言うことだってできる。本当は心の底まで冷え切っているのに、大好きだと言う。胸が焼け焦げそうなほど愛してるのに、素知らぬ顔をする。私たちはいつもそうだ。

 

年に一回、嘘をついてもいい日があるらしい。いろんな人がたくさん考えて、面白い嘘、悲しい嘘、リアルな嘘をつく。そんな日はなぜか、本当のことが浮き彫りになる気がする。

 

昔、好きな人の写真を枕の下に入れて寝ると、夢にその人が出てくるというまじないがあった。そもそも好きな人の写真なんか持ってなくて、どうやって手に入れるのかもわからないくらい小さなころに聞いたそのまじないを、ふと思い出した。特別好きというわけではないけどなんとなく取っておいた俳優のチラシを枕の下に入れてみた。その夜はなかなか寝つけなくて何度も何度も寝返りをうった。夢を見ようと思うとうまく見られない。ちょっと騙してやろうと思ってついた嘘はすぐにばれる。知らず知らずのうちに重ねた嘘はそのうち自分自身をも騙して、あたかも事実かのような顔をする。忘れたはずの夢のワンシーンを些細なきっかけで思い出して、また忘れて、思い出すうちに、本当にそんなことがあったような気がしてくる。夢日記に今日あったことを書いてみる。何ヶ月か先には本当の出来事だったことを忘れて、見た夢のことだと思うだろうか。どんな嫌なことも夢にしてしまえば、傷付かずに済むだろうか。いつか醒めるからと耐えていられるだろうか。

どうしていつも目の前のことを純粋に信じているのだろう。なにが本当かなんて、だれにもわからないのに。

 

気がついたら朝だった。頰が冷たく濡れていた。枕の下に入れたチラシは、くしゃくしゃになっていた。