子守唄

ねんねんころりよ おころりよ

生ぬるい風に頬を撫でられて、春の終わりに気付いた。家に帰ってTシャツを引っ張り出してみた。去年洗濯をしすぎたのかどれもこれもぶかぶかで、着てみたらお兄ちゃんのお下がりをもらった中学生のようになってしまった。とがった肩に、真っ平らな胸。もともと太っている方ではなかったけど、最近さらに痩せた気がする。化粧っ気のないわたしの、素朴なところが好きだよって、あれは本当だったのかな。やっぱり髪がふわふわで、真っ白な肌の、抱きしめたらいい匂いがするような女の子のところに、行ってしまったんじゃないのかな。
なんとなく髪を切りたくなって、失恋したからってわけじゃないけど、と心の中で言い訳をしつつ、(でも美容師に失恋でもしたんですか?と聞かれた)ばっさり切った。そしたら昔空けたピアスがよく見えるようになってしまった。おまけにこれからの季節、半袖になると左手の火傷の跡が見える。ショートパンツを履くと、太ももの古傷が見える。忘れてた。でも、そうだった。
写真を見なくたって、手紙を読み返さなくたって、わたしのこの体が、もう歴史なのだ。笑いあって空けた穴は塞げない。一度付いた傷は消えない。あの傷もこの傷も全部、いつどこで付いたものか言える。忘れても忘れなくても、ここにはただ歴史だけがある。
やがて夏が終わり、秋が終わり、冬が終わり、春が来る。求めた未来はすぐに過去になって歴史に変わり、わたし自身になる。

そうやって、生きていく。

同情するなら 7

(これはnoteに載せた記事を加筆・修正したものです)

 

塾でアルバイトをしていると、いろいろな子に出会う。成績がいい子も悪い子も、勉強が好きな子も嫌いな子も、ほんとうに様々な子がいる。その様々な子たちが、親の意向か本人の意志かは知らないが、塾という同じ空間に集まって、勉強をしている。その目的は大体が大学に行くためで、なぜ大学に行きたいのか問うと、勉強が好きだから、大学を出た方が良い企業に就職できるから、就きたい職業があるからなど、これまた様々な答えが返ってくる。「まだあと◯年も勉強しなきゃいけないのか〜!」とよく生徒はうんざりしたように言うが、その目はちゃんと将来を見ている。

週に一度、県の委託で学習支援をしている。
経済的な問題や家庭のことなど、様々な事情があって塾に行けない中学生に勉強を教える。中学3年生の男の子が二人、中学1年生の男の子と女の子が一人ずつ、そして男性職員と私。六人には少し広すぎる会議室で、毎週一回2時間だけ勉強会をする。私が見るのは英語だ。
中学3年生の二人は結構優秀で、渡したプリントをすらすら解く。もちろん間違えることもあるが、どうしても分からないということは稀で、正しい答えを隣に書いて見せれば「あぁ、そうだった」と納得する。
いっぽう中学1年生の二人は、問題を解く以前にアルファベットを正しく書くこともおぼつかない。もう中学校に入って半年以上経っているはずなのに、単語を一つ書くにも長い時間がかかる。おそらく学校の授業にほとんどついていけてないだろうと思う。

中学3年生の二人が勉強ができること、中学1年生の二人が勉強ができないこと、それに彼らの家庭の事情が関係しているのか、私には分からない。私は彼らの事情を何も知らされていない。ただ『何らかの事情がある子』と紹介されて勉強を教えている。

この学習支援の話を友人にしたら、彼はそんなことやってるんだ、面白そうと言った後つづけて言った。

「でもそれって同情だよね?」

その後彼が何を言ったか、よく覚えていない。

普通中学1年生でアルファベットも書けないと聞けば、勉強をしてこなかった子と認識されると思う。英語教育は小学校で始まるし、確か私がローマ字を習ったのは小学4年生の時だった。仮に中学校に入って初めてアルファベットを習ったとしても、半年もあればすらすらと書けるようになるのが当然だと思う。
でも家庭の事情があると聞いてしまったら、責めることなんてできない。私にはできなかった。だったら仕方ないかと一から教える。何度同じところで間違えても決して腹を立てず、同じことを何度も何度も言って聞かせる。そうするしか方法がないと思った。これは同情だと思う。友人が何気なく言ったように、私は彼らに同情していた。そしてそれに気がつかなかった。

でも仕方ない、確かに同情かもしれない。でもこのちっぽけな私の同情で、日本中にいる中学生のうちたった4人の英語の成績が少し上がって、彼らが少しだけ生きやすくなるなら、それはいけないことなのだろうか。
だって生きていくって、たぶん大変なことだ。彼らにも近い将来、親の手の届かないところで頑張らなければいけない時が来る。そしてその時に家庭の事情は武器にできない。どういう条件であれ、自分の身一つで闘わなければいけない。塾に行っていた子も、行っていなかった子も、行けなかった子も、みんな同じハードルを越えなければならない。彼らだってそうだ。その時に少しでもこの勉強会が役に立つなら、私が必死で教えたことが一つでも頭に残っているなら、それだけでこのプロジェクトに意味はあったじゃないか。こんな私でも誰かの役に立てるとか、やりがいを感じるとか、そんなことは言わないから、どうか、彼らがほんの少しでも生きやすくなるように。見ず知らずの人のことまで願ってる余裕はない、だけどせめて、彼らだけは、どうか安心して生きられるように。どうせ社会は変わってくれない、だったらせめて、少しでもたくさんの道具を持たせられるように。
そう願って、私は今日も電車に乗る。

打ち上げ花火 6

打ち上げ花火を見た。

風のない、晴れた日だった。

人々の熱気を物ともせず、突然始まった。

火の玉が上がって花が開くまでの沈黙は長いように見えて一瞬で、それまでの暗闇のことなど忘れてしまう。花火を見上げる人の横顔はいつになく輝いて、この顔を見下ろせる花火は幸せだろうなと思った。

連続で花火が上がると煙が空を覆って何も見えなくなってしまった。花火は一生懸命上がってるけど、上がってるのは分かるけど、その姿は全然見えなかった。

反対側や上から見たらちゃんと綺麗に見えるのだろうけど、こちら側からは雷のようにしか見えなかった。

 

あぁ、こういうときあるよなと思った。

 

家に帰ってきて、線香花火をやった。飽きないねぇと笑われたけど、手元で光る線香花火のほうが綺麗に見えた。手に入るきらめきのほうが、素敵な気がした。

宅配便 5

宅配便を待っている。

すごく欲しいものだった。すごく欲しかったはずなのに、それが何だったかを忘れてしまった。ただずっと待っている。

 

そんなことばかりの人生だった。

 

いつか誰かが迎えに来てくれるはずだ。一瞬で世界が変わるほどの何かを持ってきてくれるはずだ。なんの根拠もなく、でも心からそう思って生きてきた。

何回か宅配便は来た。その度に私はその時やっていたことを全て放り出して、全速力で玄関に向かった。でもそれは当時の同居人のものだったり、遊びに来ていた友人のものだったり、離れて暮らす妹のものだった。どうして私には何も来ないのだろう。泣きながらサインをして受け取ると、彼らはみんな顔を輝かせて、荷物を大事に抱えて私の部屋から出て行った。誰ひとり、何が入っているのか教えてくれなかった。

 

半ば諦めて、でも完全に諦めることはできなくて、来客のチャイムを聞き逃さないように、今日もひっそり暮らしている。

フィルムケース 4

祖父の車のドアポケットに、朝顔の種が入っていた。

このあいだ帰省した時に久しぶりに祖父の車に乗って、ドアを閉めようとドアポケットの中に指先を入れたら、たくさんの丸い粒に触った。よく見たら朝顔の種だった。なんでこんなところに種があるのか、聞けばすぐ分かるのだが、答えをすぐに聞くのがもったいなくてしばらく指先で弄んでいた。種の輪郭を指でなぞっていると、遠い記憶の蓋がゆっくりと開いた。

 

昔は植物の種といえばフィルムケースだった。植物が好きだった祖父母の家にはいつもたくさんの植物があった。ちゃんと花を間引き、水をやり、枯れたら種を取るのが祖母の仕事で、祖母が取ってきた種をフィルムケースに入れて、セロハンテープに植物の名前を書いてケースに貼るのが祖父の仕事だった。季節ごとに咲く花たちを祖母は丁寧に私に教えてくれた。

 

さらに記憶は蘇る。

 

保育園に預けられていた頃、ずっと父と一緒に登園していた。バスは毎朝迎えに来たが用意が間に合わず、2年間のうち片手で数えるほどしか乗らなかった。父の職場が近かったので、出勤時間に合わせて毎日1時間ほど遅刻しつつ通っていた。とは言え家族の誰も朝のバスに間に合わせようとしていなかったので、私も特に負い目には思っていなかった。

その優雅な登園の時に、父は車を近くの路上に停めて私を保育園に送ってくれたのだけど、その道にはフェンスがあって、そのフェンスに朝顔が巻きついて咲いていた。ある日父が朝顔の実を取って、殻を指で少し剥いて、手のひらに乗せてふっと息を吹きかけた。殻は簡単に飛ばされて、父の手のひらには黒い種だけが残った。やってごらんと言われて、父と同じように殻を少しだけ剥き、ふっと息を吹いた。そうすると私の手にも種だけが残った。それが楽しくて楽しくて、実を見つけては殻を吹き飛ばし、私の服のポケットにはいつも朝顔の種が入っていた。家に帰ってフィルムケースにその日の朝取った種を入れるのが日課だった。こんなのどうするのと母はいつも怒ったけど、父との楽しいひとときを貯めていくようで嬉しかった。

 

 

車のドアが閉まる音で我に返った。車が停まったのに出てこない私を、怪訝な顔をした祖父が窓越しに見ていた。慌てて外に出て、とっさに種を数粒つかんでドアを閉めた。訳を聞く代わりに、こっそり道ばたに種を蒔いた。芽が出ても、出なくても、いいと思った。

大人な子ども 3

(これはnoteに載せた記事を加筆・修正したものです。)

 

高校3年生の時、街頭でインタビューを受けた。選挙権が18歳まで引き下げられることを受けて、「競馬」「飲酒」「煙草」の許可年齢も18歳まで引き下げることに賛成かというアンケートだった。一緒にいた3人の友だちはみんな、「すべて20歳になるまで許可されるべきではないと思う」と答えていた。でも私は、少し引っかかりを覚えてしまった。お酒を飲んでみたいって思ったことがあるし、煙草も吸ってみたいと思ったことがある。20歳になるまで禁止されているから買わないだけで、本当はやってみたい。18歳から許可されたら、きっと他の3人も買っていた。その差はなんだろう。私たちとお酒の間にあるのは、法律だけなのだろうか。

18歳と20歳なんてそんなに変わらない。その変わらなさが怖いと思った。自由になるということは、責任も背負うということだ。20歳になったって私は親の援助を受けているだろう。それなのに成人してしまうのだ。もう大人だと、この広い世界から認められてしまうのだ。1人で立つこともできないくせに。護られないのは怖い。護られるために、ルールを守るのだ。

 

いま私は高校生だから、飲酒や煙草に興味があります。やってみたいと思います。でも、大人に「やってもいいよ」と言われたくないんです。だってまだ高校生だから。自分たちが子どもなのは分かっています。だから、大人に守ってほしいんです。未成年のうちは守られたいんです。守られていると思いながら大人になりたいんです。

「18歳でも許可していい」か「20歳になるまで我慢するべき」のどちらかの答えしか想定していなかったであろう若い記者に、必死で訴えた。私はその時どうしてもこの言葉を新聞に書いてほしかった。守られたいと思っているひとりの高校生の意見を大人に読んでほしかった。あいにく帰りのバスの時間が迫っていて、ゆっくり気持ちを説明することができず、私の話をメモ一つ取らずに聞く記者と困った顔の友だちを置き去りにしてその場を離れた。去り際もう一度振り向くと、元通り笑顔で話をする友人たちと、メモを取りつつ頷く記者が見えた。

後日、その日のインタビュー記事が掲載された新聞が配達された。インタビューを受けたことは教師にも家族にも言ったので、みんながその記事を読んだ。普段おとなしくて真面目そうに見える私が、「競馬も飲酒も未成年にも許可されるべき」と答えたことに驚いていた。きみってそういう考えなんだね、ギャンブル興味あるの?結構不良なんだね。といろんな人に笑いながら言われた。私は何も言わなかった。もう何でもいいと思った。必死で訴えた意見が、「よくわからない話」として扱われたことがたまらなく恥ずかしかった。ただ恥ずかしくて仕方がなかった。人に自分の意見を言うことを初めて恥ずかしいと思った。

友だちの意見だけが書かれたその新聞は、記念にとっておこうと言う家族の声を振り切ってすぐに捨てた。私はあと3ヶ月で20歳になる。

愛しさと切なさと 2

実家に住んでいた頃、晩ごはんを食べた後に父とふたりでニュースを見る時間があった。あった、と言ってもちゃんとニュースを見るのが家族の中で父とわたしだけだったので、いつもふたりで見ていた。話上手な父親は世界情勢や政治についていつも分かりやすく説明してくれて、それを聴くのが大好きだった。

 

 最近仲良くしてる先輩がいて、夜に散歩するのが2人の間で流行っている。この間も夜中に今ひま?ってメッセージが来て、2人してパジャマみたいな格好で近くの公園まで歩いて、だらだら喋っていた。社会学を勉強している先輩はもうすぐイギリスに留学に行くんだけど、いまのイギリスの情勢が不安だという話をしていた。分かるところと分からないところが混ざった話をぼんやり聴いていた。わたしが分からなさそうにしていると先輩はちゃんと気づいて馬鹿にすることなく説明してくれた。

そのうち人間の生き方についての話になった。今はまだ学生だから勉強さえしていれば良いけど、社会人になったら自分が働かないと生きていけなくて、最初のうちは仕事が楽しくて働くかもしれないけど、そのうち働く原動力になるのは自分の家族を養うっていう使命感だよね、って先輩は言った。働けばお金がもらえて生きていける、それはすごくよくできた仕組みなのに、いちばん根っこにあるのは感情なのって、人間って本当に動物として欠陥があるよね、と。しかもその原動力となる相手を選ぶ基準は十人十色で、それなのにちゃんと相手を見つけて結婚して子孫を残していく。やっぱりそのへんの動物みたいに、いちばん体が大きいやつがボスだとか、くちばしがいちばん赤いやつがモテるとか、そういう単純な基準でよかったんだよ。

真夜中の変な興奮と夏の夜風が混ざって、熱いのに冷たくて、ふたりともたぶん少し寂しくて、先輩はまだ喋っていて、今までそんな話はしたことないのに、先輩の低くて優しい声に父の顔がオーバーラップして、遠くのほうでかすかに虫が鳴いていて、何かが溢れてしまいそうだった。

わたしの様子がおかしいことに気づいたのか、先輩は不意に話をやめて、帰るかと言って立ち上がった。がっかりしたけど、同じくらいほっとして、はい、と言って私も立った。

帰り道ではふたりとも何も話さなかった。私のアパートに着いて、先輩が一言だけ何かつぶやいて、なんて言ったんですかって聞こうとした瞬間に、じゃあまたねと先輩は歩き出してしまった。

部屋の窓から、外の道路を先輩が歩いていくのが見えた。ゆっくり、でも規則正しく遠ざかっていく先輩がだんだん夜の闇に溶けて、見えなくなった。先輩と同じ闇の中にいたくて、私も部屋の電気を消した。